不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

歩行のこと

昨夜、ガリレオチャンネルで歩き方についての番組を放送していました。

http://www.web-wac.co.jp/tv/galileo.html

「日本人の歩き方が変わった? 失われた江戸の歩きを探る」

なかなかおもしろい内容だったと思います。

ただ実演者の皆さん、やはり日常動作ではないのでぎこちないことこの上もありませんでしたが、色々な方法からアプローチされていたのが伺えます。

以前のブログを読んだ方、もしくは私と懇意の方(同門、門下生)はよくご存じだと思いますが、私の歩き方は現代人のそれではありません。番組でもやっていましたが(実演者はあまりうまく実演できていないようでしたが)、右手右足を同時に出して、腰をひねらない歩き方です。この歩き方をかれこれ4-5年続けています。この歩き方が完成するのに6-7年かかりました。色々実験しているうちに脚が痛くなったり腰が痛くなったりもしましたが、ともあれ現在のバージョンになってからはすこぶる楽になりました。この歩き方が昔のものかどうか、実のところよく分かりません。似ているだけで違うのかも知れません。それともっと重要なのは武芸者としてこの歩き方は非常に優れたものではあるけれども、一般人がそこまでやる必要があるのかどうかも分かりません。

普通の人が歩いている普通の歩き方の方が普遍的で汎用的だと思うかも知れませんが、私が見る限り、バランスの取れた、もしくは疲れない歩き方のようには思えません。そもそも時々都内で観察していると、正しく歩いている人などほんの少しだけです。普通ではない私の歩き方は目立つと思っていらっしゃる方、それも間違いです。私の歩き方に気付いた方は今まで1-2人だけです。人間というのは思っている以上に観察というものをしておらず、私の見立ててでは「歩き」がもっとも観察されない挙動ではないかと思います。従ってこの歩き方に創意工夫をすれば、武芸上でかなり優位に立てます。今の歩き方をするようになってから感じましたが、日本の武術の動き方に即していると思いました。技のキレが飛躍的に伸びたような気がします。

ナンバ歩きなんてなかった、と思っていらっしゃる方、そうかもしれません。私の歩き方がナンバ歩きかどうか、私も知らないのです。ただ、私も博物館や映像を見た限り、確かに今の人と歩き方は違っていると言うのは間違いなさそうです。番組では服装上の制約の関係で、そのような歩き方になったとありました。私の歩き方を研究し始めた頃は「そんなことはない」と思いましたが、今思うのはそれはありうるということです。人間の体は思っている以上に即応性があります。例えば身長やあごの退化、脚の変化(退化?)、西洋文明の流入によって所作どころか肉体的ですらここ100年で変化しています(皮肉で言えば考え方もかなり変わってしまったようですが)。基本動作も変化しないわけがありません。

これは実際に数年歩いてきてきた実感としてそう思うのです。

だから言えるのですが、番組で小笠原流礼法の方が歩き方を実践されていましたが、書物に書かれたとおりのことをやっていても、かなりぎこちないのはやむを得ないと思います。古武道の世界でも同じではないかと思っています。ちなみに私の歩き方は甲野さんが紹介している歩き方とも違うようです。理論や方向性は似ているようです。ただ彼が本当に分からせたいのかどうか私は疑問を感じます。私ははきませんが、本当に分からせたいなら「袴ではなくズボンをはいて実演しましょう」。この辺り、歩き方を分からせるなら基本の所です(笑)。ともあれ、人間の歩くシステムというのは本当に複雑だと感じました。現代科学で一体どれほど解決できているのか。ただ日本のロボット工学を見るに、世界諸外国に比して日本はかなり近いところにいると思います。私にとってその歩き方を始めたときそれをいかに効率よくシンプルにしていくか、これが私の課題でした。今は大半がクリアできています(と思っています)。今は新たな長期課題に取り組み始めているので、その歩き方が必然的になってきています。

実際にどんな歩き方をしているのかというとなると、非常に長くなってしまうので書きませんが、気が向いたらそのうち私のサイトのどこかに紹介したいと思います。

SD100516 碧洲齋