不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

教育理念のこと

前回の流れで・・・

正直、現在の学校教育というのは、船の航海に例えると、晴れている方角に向かって船を進ませるようなもので、目的地に向かって進ませているようには思えないことしばしばです。両親は本来、子供には世界には色々な港があり、どこに行きたいのか選ばせる余地を与えたり、その相談に乗ってやるものだと思っています。そして学校は晴天時荒天時日中夜間の航海の仕方を子供に教えるものだと思います。学校が無難な方法で無難な方向にしか向いていないのであれば、その乗員はいつになっても立派な船員になり得ません。

子供が小学校に入学したら、ことある事に読み聞かせようと思っていたものがあります。

これです。

http://fudoan.cdx.jp/sanbun/sanbun_index.htm#chokugo

明治天皇がお書きになった『教育勅語』です。

戦後は軍国主義思想に類すると判断されて学校では掲示されなくなりましたが、畏れながらこれはなかなかの銘文です。何故これに興味を持ったのかというと、父の生家が東京日本橋関東大震災の後に再建された記念に書家にそれを書いてもらったそうなのですが、その掛け軸が我が家に伝わっています。今は床の間の甲冑の背後に掲げられています。装丁がかなり痛んできたのでそのうちに直したいところです。

とはいえ原文はかなり難解なので、6歳でも読めるように意訳しました。せっかくなので掲載します。

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教育勅語

 私は、私の先祖がすばらしい夢をもって国を作るために、日本の国をはじめたと信じています。そして、国民はみんな年上の人をたいせつにし、年下の人にしんせつにするように、日本人のみんなが心を合わせたので、今のすばらしい日本になったことは、日本人がはじめからよい心を持っていたからですが、私は勉強するりゆうも、よい国を作るためだと信じています。

 国民のみなさん、子どもはお父さんお母さんをたいせつに、きょうだいは力を合わせて助け合い、お父さんとお母さんはなかよく、友だちには何でもかくさず信じ合い、そして正しいことばと正しいことを心がけ、みんなにしんせつにして、勉強をがんばり、しごとをがんばり、たくさんのことを知るためにがんばり、自分を正しくするためにがんばり、そしてまわりの人たちや学校を良くして、また、きまりを守ることはもちろんですが、日本がたいへんなときは、平和と安全のために心からよろこんで国を助けなければなりません。これはよい日本人としてあたり前のことで、私たちの先祖が今までいっしょうけんめいのこしてきた日本のよいところをもっとよくするためでもあります。

 これらは、天皇の先祖の教えとして、子孫である私たち国民が守らなければならないことで、それは今も昔もかわらない正しい道で、また外国に行ってもまちがいのない道ですから、私も国民のみなさんといっしょに、先祖の教えをしっかりと心において、りっぱな日本人になるように、心から祈っています。

めいじ二十三年 十月 三十日

めいじ天皇より

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もちろん漢字にはルビを振りました。かなりくだいて書きましたが、私的には明治天皇が思い描かれた教育理念を精一杯訳したつもりです。できたら原文と併せて読ませたいところです。

教育勅語を知らない方は結構いると思いますが、これはなかなか優れた勅文だと私は思っています。何故日本を拓いたのか、何故日本が今まで存在し得たのか、何故教育に励まねばならないのか、一体全体教育とは何を指すのか、全てに答え、しかも外国でも通用すると、バッサリ断言されている辺り、西洋文化と接した明治天皇の英明さが伺えます。そして何よりも西洋のものの考え方を理解された上で日本の良いところを伸長されようとお考えが反映されている辺り、この勅文の秀逸さでもあります。

「良い子ちゃん」だから世界に通用する、というハチミツ漬けチョコレートのような発想は幻想です。各々自分の国の根幹を顧みて、母国の良いところ悪いところを見極めて、良いところを積極に伸ばして世界に貢献し、悪いところを慎むことが、世界平和に貢献できる最も現実的な方法です。

息子にはこの教育勅語を読んでもらい、本人なりに良い日本人になってもらえたらと思います。

注:原則「陛下」を付けるのは今上天皇陛下のみです。今上皇后陛下が昭和天皇を「先帝陛下」とお呼びになっていますが、通常、例えば明治天皇陛下とは呼ばれることはありません。これだけで敬称と見なされているようです。

画像

第122代 明治天皇

SD100422 碧洲齋