不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

道徳教育のこと 2

皆さんもよく知っている話しかも知れません。

あるとき、ある人が建設現場で3人の職人に尋ねました。

1人目

「あなたは何を作っていますか?」

「私はレンガを積み上げています」

2人目

「あなたは何を作っていますか?」

「私は壁を作っています」

3人目

「あなたは何を作っていますか?」

「私は教会を造っています」

息子の新しい道徳の教科書を拝見しました。

ん~何と言うのか、何と言うべきなのか。

正直、内容を読んでいて不安になりました。

これでは「ただの良い子ちゃん」を製造するだけです。

戦時下で言い替えるなら「とにかくたくさん人を殺す人」を製造するだけかも知れません。

(この方が分かりやすいかも)

手ほどきする順序が逆のような気がします。

「良い子ちゃん」の積み重ねが「スバラしき人間像」を作り上げていくというのは間違いです。

「スバラしき人間像」があって、そのために善行なり徳行なりを積み重ねるものだと思います。

学校の教科書にはその指針が見えないのです。私だけかも知れませんが。

偉人でも賢人でも英雄でもとんでもない間違いはしますし、失敗もします。結果成功して、それを償い、それが後世に残るほどだったから後世、彼らは偉人とか賢人とか英雄と呼ばれているだけです。特に英雄などと言うシロモノは大抵、たくさん人を殺してきました。その苦しみ、何故苦しむことが分かっていてもそんなことをしなくてはならないのか、その辺り、学校の教科書にはいささか欠けているような気がします。(私が読んだ道徳の教科書は今のところ小学校1.6年と中学1.2年だけですが)

理屈が幅を利かせてきた現代、それでもなかなか大人でも理屈付ける事が難しい事項もあるでしょう。そういうときこそ神仏においで願いましょう。私もそうしています。息子には日々「不動明王尊」の御加護の元、無事壮健でいられると言ってきています。朝の読経にも付き合わせています。今のところ子供は全くお不動様を信じています。悪いことが起こらないのはお不動様のおかげ、良いこともお不動様のおかげ。そのうち信じなくなるかも知れませんが、現実として幼い頃からずっと見てきた私の真摯(笑)に祈る姿は強く脳裏に焼き付いていると思います。それだけで十分なのです。何か悪いことをしてしまったとき、普通の子供よりも胸の痛みが激しかったらそれでOKとしておきます。まあ、あまりにもひどかったらこの私と対決しなくてはなりませんが、それを厭わない漢に成長するのであれば、それもまた一興!(あ~すみません、まだ思春期の子供の教育の難しさを知らないので、勝手なことばかり言ってます。ご容赦下さい)

だから親はいつもよりハズいぐらいに義を通す生き方をした方が、子供にとっては良い影響を与えるのではないかと思っています。

SD100421 碧洲齋