不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

道徳教育のこと

その昔、小学校の終わりか中学校の初め頃だったと思います。

道徳の教科書の中で学校のツツジが枯れて、担当だった少年が筑波山だったかどこだったか、遠足に行った先で立派に咲いていたツツジを一部持ち去ってしまった、という話しがありました。

先生は片っ端からこの行為が良いのか悪いのか、生徒に聞いていきました。私以外は全員悪いと答えました。私は与えられた任務を遂行しようという義務と自然を大切にしようとする心が戦った結果、やむなく一部頂いて、学校できれいに咲かせたのなら仕方がない、そもそも自然は人間のものではない、とか何とか、日頃大人しかった自分が、珍しくかっこいいことを言いました。先生はその後、私を職員室に呼んで、色々ネチネチと憂鬱になるほどの説教を始めました。

それ以来、私は道徳という教科が非常に嫌いになりました。良し悪しがわかりきっていることをどうして掲載するのか。明白なことをわざわざ取り上げるのか、全くばかげています。そもそも道徳などと言うものは学校ではなく家とか地域で育まれるべきで、学校ではそれを反芻程度でしかないと思っています。学校でも立派に道徳心まで育成しているのを見たことがあるのは、今のところテレビドラマだけです。あ、日本での一般教育12年のうち、「この先生は凄い」と思ったのは1人だけでした。もう1人、及第点をあげてもいい先生が1人。それ以外は頑張っていたけど心に響かなかったのが半分と、どう見ても頑張っているようには見えなかったのが半分でした。

確かに今の子供たちは昔よりも遙かに多様性があり、情報も過多です。従って昔のようには行かないでしょう。非常に努力している先生方も大勢いらっしゃることと思います。とはいえ、教育というものは国家の根幹を成す一大事業と心得て欲しいものです。それに比べたら経済で良いの悪いのと言うことは実に些末な問題です。そんなことは時の流れと共にコロコロと転がっていくだけのものです。しかし教育は違います。転がっていくべきものではありません。

長くなりそうなので、続きはまた。

SD100421 碧洲齋