不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

そのもの

うまいタイトルが思いつきませんでした。

先週日曜日に行った坐禅会での話し。

どなたかがダライラマについて、住職はどのように思われますか、という質問がありました。

師は何か答えたがっていましたが、やはりそれはそれ、少し悩んでから

「基本的に聖職者はあまり政治についてコメントすべきではないと思います。特に他人の政治については」

と答えられました。

その代わりと言っては何ですが、曹洞宗の澤木老師の事例を挙げました。

澤木老師は明治時代後期から昭和初期頃の方です。

禅僧の修行中、日露戦争があり、老師も徴兵されました。

老師は僧侶の衣を脱ぐ瞬間までは戒律をきちんと守っておられましたが、一旦兵士の制服を着ると、ひたすら軍務に徹したそうです。そして戦争が終わり、退役した後におっしゃった言葉です。

「わしは腹一杯、ロシア兵を殺しまくった」

この話は割に有名なので、ネット上でも出ているかも知れません。

禅僧として素晴らしい意見だとか、聖職者としてあるまじき意見だとか、色々あるそうです。

これをどう取るか、私は近代の現成公案としてはなかなか優れたものだと思っています。

師が自分の見解を一通り述べられた後、もし自分だったら・・・と話し始めました。

一僧侶として平和を願い、戦争を回避する努力はするにしても、一旦事あらば衣を脱いで一国民として事に当たるでしょう、ということでした。

いつものことですが、改めて師の偉大さを思い知らされました。

神風特攻隊は果たして狂気の集団だったのか、愛国の士の集団だったのか、それは相対的な見方です。

味方の10数倍の敵がいて、とにかく防がねばならず、とりあえず動く戦闘機に使えそうな爆弾をくくりつけ、がむしゃらに向かっていった、その事実があるだけです。どう評価してもそれは本人たちの評価ではありません(だいたい本人たちは既に仏です)。それはそれ、その事実があっただけです。褒めても貶めてもその事実があったことは1ミリも変化しません。(もちろん無能な指揮官たちには腹が立つことはしばしばですが)だから空虚とも思えます。(私は尊いとは思っていますが)

過去を顧みたり、未来を慮ったり、人の心は哀しいほどにせわしく動き回っています。しかもこの狭い頭の中で。

しかし現実には今、その場にしかいません。今その場ををよく生きる以外に方法はないのだと禅は示します。

私も一旦急あらば、日本のために誠心誠意、事に当たるとは思いますが、師のようにスッとそれになりきるというわけにはいきません・・・。

一秒一秒、覚悟を持って生き潰す、禅を修行するとそれが分かるようになるそうです。

SD100413 碧洲齋