不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

柔道のこと

私が通っていた中学校は当時、関東地方でもなかなか優秀な柔道の強豪校でした。そしてその柔道部の顧問が3年間ずっと体育の担任だったため、かなり柔道の授業を楽しんで学べたと思います。多分、それは私が武芸をはじめた大きなきっかけではなかったかと思います。必ずしも身体や体力が勝っている人が勝てるわけではない柔道は、私にとって非常に興味を引いたものでした。当時、体力は(も?)普通だった私が、比較的勝つことが多かったので、楽しかったように覚えています。 柔道はいまや「JUDO」として、世界で一番普及している日本の武道ですが、今我々が知っている柔道は、少なくとも東京オリンピック以前のものとはかなり違っています。色々なルールが出来てしまったこともありますが、オリンピック正式科目化と引き替えに取り入れてしまった「重量制」のために、本来体格の違うもの同士が戦うための技術を失ってしまったと言えます。「柔よく剛を制す」。本来違う体格、質量を持った者同士の戦いを制するための技術が今日のような変貌を遂げてしまったこの武道は、しかし日本の代表的な武道でもあります。 私の師は昭和30年代に柔道3段でした。宗家は同じく5段でした。この時代にこの段位に達するのはなかなか難しいことでした。以前、2人に東京オリンピック以前の柔道について、どのように違っているのか聞いてみましたが、宗家はニヤリと意味ありげに笑っただけでした。師は「昔はもっと武術的だった」とのこと。大切なものを失ってしまったのか、世界に日本の武道を広めたのか、未だに答えはありません。もしかしたらどちらがいいという問題ではないのかも知れません。 柔道創立者、嘉納先生は各種武芸に精通していました。そして国際通でもありました。英語も普通に出来ました。私の勝手な感想ですが、私の流派の武風と似ている気がします。残念ながら嘉納先生は戦前、幻に終わってしまった東京オリンピックのために奔走されましたが戦争のために実現せず、帰国の途上で亡くなりました。もし東京オリンピックの時に生きていらしたら、現行のルールについて、どう思ったでしょうか。とても関心があります。 何故こんな話になったかというと、今日、会社でたまたま嘉納治五郎のオリンピック招致の記事を見つけたからです。それだけです。
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SD100210 碧洲齋