不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

草加せんべいのこと

草加せんべい縁起

江戸時代中頃のこと。

日光街道の二番宿場町である草加宿に一軒の茶屋がありました。

そこに「おせん」という、たいそう美しい娘が働いていました。

そこの茶屋で売られている団子は地元で育った米から作られたもので、

これまたたいそう評判になるほどの味だったとか。

この茶屋は看板娘とうまい団子で繁盛しておりました。

しかし、繁盛しているとはいえ、時折団子が余ってしまうこともありました。

生ものなので翌日までは持ちません。

おせんはもったいないとは思いつつ、多くの団子をお地蔵様の供え物にしていました。

ある日のこと、見込み違いでたくさん余ってしまった団子を皿に盛り、

街道沿いのお地蔵様にお供えをして、手を合わせていると後ろから声がありました。

「これそこの娘、かような量ではお地蔵様とて食い切れまい。」

振り向くとそれは若くりりしい侍でした。

「あのう・・・」

おせんは高鳴る胸を押さえつつ、声をかけた。

侍は編み笠を取り、地蔵に片手で手を合わせるなり団子を盛った皿を取り上げ、

しばらく眺めたあと、一つの団子を口にした。

「これはうまい。そなたが作ったものか、名は何と申す」

「はい、お侍さま、おせんと申します」

「おせん、これほどのものを供え物にしてしまうのはもったいない。

ひとつ、我が家に伝わる方法を教えて進ぜよう、まず茶を頂けぬか」

侍は茶を一口すすると、やおら話し始めた。

「この団子を平らにつぶし、炭火で両面を交互に焼き固める。

その後、塩でもまぶせばよい。」

「・・・」

「それがしの祖父が戦国時代に兵糧としてそのようにしていたらしい」

おせんは越え得ぬ自身の身分を恨みつつ、この若侍の言葉を胸に刻んだ。

「かしこまりました、まだ火は落とされていないようですのでやってみます」

おせんは手先が非常に器用だった。

供え物として盛られていた団子はすぐさま平らにされ、炭火であぶられると、

一口大の香ばしい香りを放つ菓子に変わった。

軽く塩を振り、おせんは侍に供した。

侍は感心したまなざしでおせんを見つめた。

「どれ、うむ、これはみごとじゃ。団子もさることながら、この焼き加減は絶品じゃ、

そなたの夫になるものはさぞや幸せであろうな」

おせんはまもなく去るであろうこの若侍の言葉に涙がこぼれそうになった。

侍は数枚を懐紙に包み、立ち上がった。

「それがしは武者修行中の身、折りあらばまたこの道を通ることもあろう。

おせん、達者で」

若侍は日光街道を北へ去っていった。

おせんはこの焼き菓子を「せんべい」と名付け、日本の津々浦々まで知られるようになったとさ。

*ものすごく脚色されています!あしからず。

*娘でなくおばあさんというバージョンが多いのですが、おばあさんがそんなことをしていたのでは知恵がなさ過ぎるので若い娘にしました。侍の代わりにお坊さんというのもあるらしいのですが、侍の方が格好いいのでこちらにしました。

写真は多分草加市で最高級の草加せんべいです。有機うるち米有機醤油を使い、機械ではなく手で焼かれたものです。草加市内にはたくさんのせんべい屋があり、店によって味が少しずつ異なります。このせんべいは以下の店で購入したものです。

http://www.yamakosenbei.co.jp/

ここでは別館でせんべいを焼く体験もできます。

画像

SD100105 碧洲齋