不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

遺骨収集事業

国民一人一人が出来ることから始めよう 第2回遺骨収集シンポジウム - 産経新聞」について

私の母方の祖父は、昭和19年6月頃、サイパン島に増援に向かった輸送船団の船員でした。戦史資料によると、結局7隻の内、サイパン島に到達できたのはたった1隻だったそうです。祖父はその中の1隻に乗務していたそうです。

2年前、サイパン島に行きました。「サイパン島」は観光地、南海の楽園、と謳われていますが、幼少の頃から私にとってそこは顔も知らぬ祖父が戦死した場所以外の何ものでもありません。草に埋もれた日本人の墓地や祈念碑に線香を焚き、読経させて頂きました。

多分その頃からだと思いますが、遺骨収集事業に興味がありました。国の未来を切り拓くために命を落としていった、数百万もの将兵たちの骸が、未だジャングルに放置されているということは非常に慚愧に堪えません。

享年31歳だった祖父が、祖母と2人の娘、1人の息子を残して出征したとき、どんな気持ちだったのか、何度も考えました。とても鮮明に、間違いなく思うのは・・・

「祖父はただの下駄職人です」

「祖父は絶対に右翼じゃありません」

「祖父は家庭をとても愛していました」

「祖父はアメリカを憎んではいませんでした」

「祖父は『敵』が日本にやってくるのが1秒でも遅くなるなら、喜んで国に奉仕しました」

と、いうことです。日露戦争の素晴らしすぎる政治家、軍人に比べて大東亜戦争のスタッフに思うことは・・・

「アンタタチ、ほんっとうに日露戦争の勉強したんですかっ!!!」

しかしそのとばっちりは結局、名もなき草民にやってきます。

日本人の素晴らしい点は、敵だった国とも仲良くやれるところだと思います。その辺り、周辺各国もぜひとも心して見習って欲しいと思います。私の友人にも米国人は大勢います。彼らの祖父達も日本と戦争したのでしょうが「私には全く関係ありません」。「祖父は戦争に殺された」のです。アメリカ軍だったか、笑えるほど無能すぎる日本の指導者、指揮官だったかは全然問題ではありません。そして私は今、生きています。

しかし、政府の方、政治家の方はそれではいけません、何百万人の命と引き替えに、今あることを胸に刻みつけ、政治生命イコール自分の生命ぐらいの覚悟でこの難局に当たって欲しいと思います。

遺骨収集の話でした。

野口さんが遺骨収集をしていることはテレビなどで幾度か見ました。いつか私も参加したいですね。

SD100127 碧洲齋