「挨拶」、よく使う言葉ですが、実は出典は禅の用語です。
挨は「迫る」、拶は「切りこむ」こと。
つまり「挨拶」とは師匠と弟子との問答のやりとりを指していました。
相手を認め、切り込む命がけの行為だったのでしょうか。
私は毎朝、息子を保育園に連れて行きます。そして時々終業後に迎えに行きます。
レベルの善し悪しは別として、とりあえず大半の父兄は挨拶をするのですが、
中には全く挨拶ができない人もいます。
モゴモゴと何かを言うか、全く無視か。
いやいや人の親とあろうものがこういう様では先が思いやられます。
注意してみると、そういう人に限って園でのマナーやルールを守っていないようです。
モラルの意識が低いのでしょう。
役員でそういう人がいたりすると、頭が痛いですね。
こういう親が後々「モンスターペアレント」になるんでしょうか。
今や学校の先生も頼りになりません。
息子を限りなくたくましく育てねばなりませんね。
自分なんかはいじめられた方ですが、
それでもひたすらよく耐えてきたことを考えれば、
今の子供よりはたくましかったのでしょうか。
「挨拶」、馴れ合いや、習慣で言うよりも、真剣に認め合うように言いたいものです。
SD100120 碧洲齋