当流の今年のテーマは「禄魂笑浄」だそうです。
どうやら「六根清浄」のモジりのようです。
「六根清浄」は仏教用語です。
当流の宗家はこのように同音異義語をよく変化させます。
外国人が非常に多い当流では、意味を全く理解できないか、
全然違う訳にしてしまう門下が大半なので少々可哀想な気もしますが、
私もかなり意地が悪いので稽古で宗家がこのような類の言葉を残した折には、
親しい同門にしか意味を教えません。
字面からすると、「魂を禄するは浄化されし笑み」でしょうか。
もっとも宗家のことなので、漢字に執着してもいけないのかもしれません。
無垢な笑みをもたらすような自然体を以て事を為すというような気がします。
その「事」というのも他人や社会のためになるようなことでしょうか。
師の武芸的解釈ではその自然体の笑みのままに相手を倒せる境地なのだとか。
自然体で立ち自然体で動くとは、相手が意識できない動きと言うことです。
知っている人は知っていると思いますが、これは本当に恐ろしい動きです。
実は私が今、研鑽している動きでもありますが、さてさてその成果はいかに?
拈華微笑という言葉があります。
インドの霊鷲山でお釈迦様が黙して花を拈(ひね)ったところ、
迦葉尊者だけがその意を悟り微笑したため、
お釈迦様は迦葉に禅の法門を伝えたという伝説です。
伝承者の決定方法に、お釈迦様はなかなか粋な方法を採ったと思います。
同じ「笑」つながりでふと思い出した次第です。
SD100114 碧洲齋