不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

武芸のはじまり

実は私が「武芸」という言葉に惹かれる理由は他にもあります。 「武」はよく、戈を止める、から来ているとか言われておりますが、正しく字形では足跡を意味する止にその漢字の音を表す戈から成り立っています。戈は字義にもつながっているかも知れません。字義としては一跨ぎ、すなわち半歩の意です。古代中国においては「武」は一跨ぎ、半歩を意味し、「歩」は二跨ぎ、一歩を意味したそうです。軍事上、行進や作戦機動に必要な尺度単位だったのかも知れません。 常日頃から師より正しい姿勢で歩く、自然に歩くことが優れた技につながると言われ続けておりますが、「足」「歩く」つながりのこの「武」の字義を見た時、古代中国人はどのような歩みをしていたのか、思いを馳せずにはいられません。現代の中国拳法にもその「半歩」、必殺の「半歩」は脈々と継承されているのでしょうか。知りたいところです。もちろん、「戈を止める」という日本人らしい発想も大好きです。日本人ならではのこの発想のお陰でサムライという世界に冠たる思想が生まれています。 一方の「芸」は旧字体で「藝」と書きますが、元々は木を植えている象形なのだそうです。信じがたいことですが、中国では戦国時代(紀元前2.3世紀頃)にはすでに都市部に近い山は木を切り尽くされて無残だというような記録があるくらい、現代の中国に通ずるものがあります。確かにそういう事がない限りは「木を植える」象形などは思いつかないようにも思えます。元々の字義はまさに草木を植える意です。そこから引いて学問や技能などに発展しています。古代中国では草木を植えるにはそれなりに技術が必要だったのかも知れません。簡字体の「芸」は借用で、もともと香りの強い草の名前だったそうです。こちらの方も風流でいいですね。 「武」の足に対して「芸」は手という対比に私は何か武芸の深いものを感じます。偶然にそうなったのかも知れませんが、足の動きを意味する漢字が頭に来て、手の動きを意味する漢字が下に位置している「武芸」の単語はとても意義深いものに感じます。この「武芸」の単語が作られた時代は多分、古代人が持っていた意味は忘れられていたと思います。それでいて「武芸」という単語が作られました。私は「武芸」が造られた時代、きっと中国の武の伝統が古代から脈々と身体によって伝わってきていたのだと思います。 我が流派でも伝承は「書伝、口伝、体伝」と言われておりますが、左記は伝えやすい順、重要でない順になっています。要するに結局武芸は「身体で分かる」しかないという意味です。書伝はメニュー、口伝はダシ程度だと、私は思っています。この辺り、禅の不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏と似ています。古代人が「武芸」の単語が構成された時代、恐らく書はもとより言い伝えでも意味は継承されていなかったにもかかわらず、武芸を継承し続けてきた戦士達が本能的に「武」と「芸」の漢字をこのように構成させたと信じたいところです。 「戈を止める」という発想は中国でも言われたことでしょうか。私は日本で強く信じられた思想だと思っています。「戈を止める芸」なかなか言い得て妙な気がします。武道、武術、古流など、他の言い回しもそんなに嫌いではないのですが、やはり私には「武芸」が一番合っていると信じています。 2009/12/21 碧洲齋
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