不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

正夢のこと

ご覧になった方はご存じかと思いますが、私のHPは五つのカテゴリーに分かれております。

そのうちの一つが禅です。これは英語版に於いても同じです。しかしながら禅のカテゴリーにて紹介されている経典のうち、般若心経だけが英訳されていません。

昨年初頭、一念発起して私のサイトを大幅に大改訂した折、経典も英訳しましたが、さすがというかやはりというか、般若心経だけは全く歯が立ちませんでした。この仏教の神髄が濃縮された経典は、まるで英訳を拒んでいるかのようでもありました。金剛石に鑿を打っているかのような気分になり、翻訳を放擲しました。時が解決してくれると思って。

同門に日本の企業に勤めている、日本語が非常に達者なアメリカの青年がいます。私と良く気が合い、稽古後に食事をしたり座禅会に連れて行ったりしています。質問の熱心さ、坐禅会の時の熱意など、武芸の精進もさることながら、その心持ちなどは普通の日本人でも舌を巻くぐらい、日本の精神をよく理解しています。時々こちらが恐縮してしまいます。

実は彼はアラブ系アメリカ人です。信仰心が非常に篤い回教徒です。彼の先祖はサウジアラビアの戦士階級だったそうです。私は彼が密かに自分の先祖を誇りに思っていることを知っています。こういうご時世、思うところがあって日本の文化に答えを求めようとしたのかも知れません。私は彼に武芸を継続していくという意味で「維武」の号を贈りました。喜んでくれたようです。

正夢、予知夢というものは今まで何回かありましたが、他人、しかも外国人の正夢、予知夢とシンクロしたのは初めてです。数週間前に夢を見ました。

目を開くとそこは不動寺の不動堂で、私は坐禅を組んでいました。反対側の単には維武殿が筆を手に神妙にしていました。維武殿は「後もう少しです」と言い、私は不動堂の裏に流れている滝の音から般若心経の妙を聴いた気がして、何事かを彼に言うと、彼は一つうなずき筆を滑らせ「やっとできました。」と言いました。滝の音が妙にリアルでした。

先日、東京の坐禅会の帰り、この話をすると維武殿も驚いたように自分が見た夢を話してくれました。夢で私の自宅を尋ね、玄関を叩きましたが、私の妻がドア越しに「主人が帰るまで、玄関の外でしばしお待ちください。」と言ったそうです。維武殿はなぜかうちの愛犬と共に玄関の外で坐って待ったそうです。そして私が般若心経の英訳協力を依頼したときに、その意味を豁然と悟ったとのことです。

英訳に当たって、世界中で英訳されている般若心経を読んでみましたが、意外にも正確に翻訳されているものは非常に少なく、大抵は機械的、非有機的に訳されている感があるものが大半でした。特に禅的に翻訳されたと思われる般若心経はほとんど見あたらず、そのために我が身の未熟さを顧みずして英訳に望んだ次第です。

基本的にはコーランアラビア語で読まれるのと同じで、般若心経も原語で読まれるべきなのでしょうが、禅はいまや「ZEN」として世界に広まっている状況を鑑みると、日本語を介さない求道者達に少しの手がかりにでもなればと思っています。私が師事している寺でもこの意気に賛同してくださり、時機を暖めておりました。

まさか回教徒と一緒になって般若心経を英訳するとは思っても見ませんでしたが、英訳般若心経の意義を考えたとき、これほど最適な人選も見あたらないと思いました。

来年は満足のいく英訳般若心経を完成させたいと思っております。

2009/12/14 碧洲齋